第17回 「新年号で記事交換」(作家 椎名誠氏)

【週刊粧業2020年3月30日号6面にて掲載】

 作家の椎名誠さんは私と同世代で、お互い、流通専門紙の記者ということもあって親しく交流していた。

 彼は、デパートニューズ社(現ストアーズ社)が発行する月刊誌「ストアーズレポート」の編集主任で、私は流通ジャーナルの編集責任者だった。

 どちらから言い出したという訳でもなくごく自然な形で、お互いの新年号に、流通ジャーナルには椎名さんがデパート業界の展望を、ストアーズレポートには私がスーパー業界の展望をそれぞれ書くということになった。この記事交換は、彼がデパートニューズ社を退社して作家として独立するまで暫くの間、毎年続いた。

 彼の原稿は、太い万年筆で、いかにも書き慣れたという文字だった。その後、椎名さんは「本の雑誌」の編集に携わるなど作家として独立された。ストアーズレポートは、百貨店業界の専門誌として評価されており、とくに椎名さんが書く「編集後記」が大変面白く、評判だった。

 いまではダイエーに吸収されたが、百貨店の「十字屋」が1976年に千葉県銚子市に新店を開設する際、その開店取材で椎名さんと一緒になった。前夜からの泊まり込みだったが、デパートニューズ社の中村多聞社長(当時)が椎名さんのことを「素晴らしい記者だ」とべた褒めだった。

 とにかく真面目で、丹念に取材するということで彼に対する業界の評判もよかった。デパートニューズ社は銀座にあったので、彼の小説で、例えば「銀座のカラス」などには、専門誌記者時代の彼が登場する。

 いま映像などを見るとかなりスマートになられたが、当時の椎名さんは、がっしりとした体格で、いかにも「山男」という感じだった。やはり登山が好きで、確か息子さんには山にちなんだ名前を付けられたと聞いている。

 残念ながら、業界が全く違うこともあって椎名さんとはその後、一度も会ってはいない。だが何年か前、流通ジャーナルの記者がどこかの会合で椎名さんに挨拶した際、私のことを話したら、「お元気ですか」と懐かしそうに思い出してくれたという。
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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