第21回 「五島列島との深い絆」(サンドラッグ 才津達郎会長)

【週刊粧業2020年5月25日号4面にて掲載】

 サンドラッグと長崎県五島列島とは深い絆で結ばれている。

 才津達郎会長は1966年、長崎県立五島高校を卒業して集団就職で上京し、新宿で薬局を経営する「アメミヤ商事」で働き始めた。そこで商売を一から学んだ。

 7年後に縁あって多田幸正氏(故人 名誉会長)が1957年に創業した「サンドラッグ」に入社した。3年後には取締役営業部長に抜擢され、本格的なドラッグストア経営者の道を歩み始める。1994年には専務から社長に昇格し、2013年に会長に就任するまで20年近く、トップとして同社を業界で抜きんでた存在にまで成長発展させる原動力となった。

 才津さんはあまりマスコミが好きではないシャイな性格だが、私は毎年夏、本部でインタビューさせてもらうことを恒例にしていた。季節柄、ラフな服装で淡々と語ってもらったが、眼光は鋭かった。

 「私は人間が出来ていませんので、なかなか新しい仲間が増えないんですよ」と冗談まじりに笑っていたが、2009年12月には、九州、中四国でディスカウントストアを展開している「ダイレックス」を子会社化して傘下に収めている。

 人口が多いエリアではサンドラッグで出店し、人口が少ないローカルエリアでは、ダイレックスに生鮮や惣菜を加えた食品を扱う新業態で出店するという新たな戦略である。

 「ダイレックスは、西日本ではそれなりの商品調達力があるのですが、東日本ではまだまだ微力です。まずテストケースとして東日本に何店か出し、いずれ商品調達力が強化されれば、全くの田舎立地に出店していきます」

 2013年、取締役管理本部長から社長に昇格した赤尾主哉(あかおきみや)氏も五島列島の出身で、社長就任早々のインタビューでも弁舌爽やかで驚いた。残念ながら肺がんのため2018年8月、52歳の若さで亡くなられた。

 暫く才津さんが社長も兼務していたが、2019年4月、ダイレックスの社長だった貞方宏司氏がサンドラッグの社長に就任して、才津さんは会長に専任することになり現在に至っている。赤尾さんのお別れの会で、涙ながらの弔辞を述べたのが貞方さんだった。彼も五島列島出身である。

 才津会長は1980年代から、ドラッグストア業界で最大級の物流ネットワークシステムと情報オンラインシステムを構築してきた。全国に張りめぐらされた在庫センターと経由センターに加え、本部、全店舗、物流センター、ベンダーを結ぶオンライン情報システムがサンドラッグのローコスト経営を支えている。

 サンドラッグの8%台前半の人件費比率、20%を切る販管費比率はまさしく業界トップクラスの水準で、営業利益率6%台を維持し続けている。

 「小売業はメーカーと違って何も新しいものを生み出してはいません。利益を出すのが当たり前なのです。ですから当社では、減益になれば役員賞与を大幅に減らしています」

 才津さんはある日のインタビューで次のように語っている。

 「私の一番好きな仕事は教育です。次に商品開発、そして業態開発です。朝起きると『今日は何をやろうか』と考えます。毎日が楽しくて仕方ないのですよ」
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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