第36回 「生鮮の作業システムを変革」(サミット 荒井伸也 元社長)

【週刊粧業2020年11月2日号4面にて掲載】

 日本のスーパーマーケットにおける生鮮食品の加工処理に関わるバックヤードシステムを開発したのは「関西スーパーマーケット」である。

 創業者の故 北野祐次名誉会長が1970年代初め、製造業のノウハウを生鮮の加工処理に応用して、作業場のレイアウト、什器など全てを自ら考案した。

 そのノウハウを同社は惜しげもなく同業他社に開示した。その結果、この関西スーパー方式は瞬く間に全国のスーパーマーケットに普及した。荒井伸也氏率いる「サミット」も例外ではなかった。

 荒井さんは、東京大学法学部を卒業して住友商事に入社したが、1970年にサミットストア(現サミット)に出向した。当時同社の業績は低迷しており、生鮮食品の加工を職人に頼る旧い体質のままだった。

 これを関西スーパー方式による効率的な加工処理システムに切り換えるに際しては、社内で大きな抵抗があった。

 それを何とか克服して新しいシステムを軌道に乗せることができたが、荒井さんはその間の苦労を、「安土敏」(あづち さとし)のペンネームで1981年に出版した「小説流通産業」(後に小説スーパーマーケットと改題)で詳しく書いている。そこには北野さんをモデルとした人物も登場する。

 伊丹十三監督、宮本信子主演で1996年に公開された「スーパーの女」は、荒井さんのこの小説を一つの材料としている。このため彼が制作アドバイザーとしてこの映画に関わり、サミットが全面協力して完成させた。

 荒井さんはゴルフをこよなく愛した。練習のし過ぎで腱鞘炎になったほどである。

 ある日、彼と一緒にプレーしていたら、何と私の目の前でホールインワンを達成した。最初は打ったボールがどこに行ったのかわからず探していたが、カップに入っていた。

 ホールの淵のグリーンが削られていたのでダイレクトインしたのだ。それを私がコラムで少し書いたところ、後に彼から「お蔭様でいろいろな人から冷やかされ、大変な目に合いましたよ」と苦笑まじりに言われた。

 荒井氏は1994年、社長に就任し、2001年 会長になるまで7年間、同社の成長発展を牽引した。その後同社は、高田浩、田尻一と生え抜きの社長が2代続いた後、2016年に、住友商事出身の竹野浩樹氏が社長に就任して現在に至っている(執筆当時)。

 竹野さんはかつて、流通ジャーナルのアメリカ流通視察セミナーに参加し、私と一緒に全米の有力小売業を見て回った。彼は一つの課題を持っていた。住友商事によるドラッグストアの開発である。

 そこでウォルグリーン、CVS ファーマシー、ライトエイドなど主要ドラッグストアを熱心に見て回り、研究していた。それが現在の住友商事直営のドラッグストア「トモズ」に繋がっている。

 サミットは、2020年3月期決算で売上高を念願の3000億円の大台に乗せた。また2018年には、精肉の川崎プロセスセンターを稼働させ、次世代に対応した生鮮の集中加工システムづくりに乗り出している。

 竹野さんの事業ビジョンは、「サミットが日本のスーパーマーケットを楽しくする」である。「そのためには、従業員一人ひとりが主体的に行動する企業風土の改革に取り組まねばなりません」と竹野さんは言う。同社の意識改革は着実に進んでいる。

(次回は、あらた 畑中伸介会長)
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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