第40回 「時代を切り拓くパイオニア」(CFSコーポレーション 石田健二 元社長)

【週刊粧業2020年11月30日号5面にて掲載】

 日本に本格的なドラッグストア時代を到来させたのは、「ハックイシダ」(現ウエルシア薬局)の石田健二社長(当時)である。

 同社は1979年(昭和54年)3月、横浜市戸塚区に当時としては破天荒だった売場面積400坪の大型ドラッグストア「ハックファミリーセンター戸塚店」をオープンした。これが日本における本格的なドラッグストアの第1号店である。

 実は同社は3年前の1976年、横浜市磯子区杉田に売場面積110坪の「ハック杉田店」を開設している。だが同店は、ドラッグストアとして必要な商品が揃わず採算に乗らなかった。

 そこで、当時親交のあったホームセンター「カーマ」の協力もあり、2300坪の工場跡地に床面積500坪の建物を建て、200台収容の駐車場を備えた前述の「戸塚店」をオープンしたのである。

 石田さんは姉妹紙「流通ジャーナル」の創業50周年記念特集での私とのインタビューで当時を振り返り次のように語っている。

 「商品の手当てはカーマさんに大変お世話になりました。また私自身も新潟、兵庫、大阪などの問屋を回り『何とか商品を分けて欲しい』と頼み込みました。『何で薬屋がうちの商品を欲しがるのだ』と必ず言われました。そこで私は、『日本にもドラッグストアの時代が必ず来ます』と説得したのです」

 この戸塚店はスタートから非常に好調で、初年度年商は6億円に達して、最盛期には28億円を売り上げるまでの繁盛店となった。

 石田さんは1955年(昭和30年)、東京薬科大学を卒業して、横浜市南区の商店街の一角で「イシダ薬局」を開業した。

 その後、ペガサスクラブの米国セミナーに参加し、初めてアメリカのドラッグストアを見て大きなカルチャーショックを受けた。「ドラッグストアをめざそう」と決意したのである。

 その後1993年にはスーパーマーケットの「キミサワ」と合併して「ハックキミサワ」を設立し、新業態であるフード&ドラッグの開発にも乗り出した。

 その本格的な1号店が1996年にオープンした「ザ・コンボ富士厚原店」(静岡県富士市)である。売場面積は900坪で、売場をフードとドラッグで半々とした。

 このように石田さんは、新しい道を切り拓くパイオニアだった。それだけに勉強熱心で、とくにアメリカ視察に熱を入れた。あるとき、私がアメリカのショッピングモールを歩いていると、「加藤さぁ~ん」と呼ぶ声がする。

 振り返ると笑顔を浮かべた石田さんだったので驚いた。まったくの偶然だったが、彼も私もそれだけ頻繁にアメリカを見て回っていたわけだ。

 ハックキミサワはそれ以降、CFSコーポレーションに商号を変更して2000年には「イオン」と業務資本提携した。2007年には「アインファーマシーズ」(現アインホールディングス)との経営統合をめざしたが、イオンの反対で結局白紙撤回された。

 そして2015年に「ウエルシアホールディングス」の完全子会社となり、2016年には「ウエルシア薬局」に吸収合併されて解散した。ハックドラッグの運営は同社に引き継がれて現在に至っている。

 石田さんは前述のインタビューの最後に、「よいサービス、快適な買物環境、近くて便利という特徴は、競い合うものであって、本質的な差別化ではありません。ディファレンシエーション、つまり差異化とは、これまでの成功体験に何かを付け加えるという発想ではありません。全く新しい乗り物に乗り換えることです」と語っている。まさに至言である。

(次回は、さえきセルバホールディングス 佐伯行彦社長)
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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