第62回 今ではなく未来へ 


はじめに

 まずトリムタブをご存じだろうか。トリムタブとは、航空機の翼やヨットの竜骨についている小さな補助フラップ(図1)のことで、これを操作することによって、機体や船体のバランスや安定を確保することができる。このトリムタブを動かすには一人の力で十分であって、それが主舵につながり、飛行機や船の方向を変えていく。

 前職のサラリーマン時代につくづく感じたことがある。大抵の新しい仕事は個人や数人あるいはその発想は少数意見であり、議論に負け簡単に握り潰されたこともあった。しかし獏とした対立のなか小さな存在でも、あくまでもそれを主張し続け実現しようとする熱と力が原点であり、方向性を変えていく実像になるかもしれないと思う。

 未来の生活環境が変化する中での化粧品や新しい皮膚研究のアプローチも、未知数ではあるがトリムタブになるかもしれない。人の目は前だけ見るためについている。無重力の中でのシャンプーシートやヒトの細胞からつくった培養皮膚のロボットについて期待を込めて、今ではなく未来を眺めてみたい。


ISSの新製品

 宇宙ではどうやって髪を洗うのか?それは無重力空間では、液体の滴は何かに触れるとすぐに触れたものの表面に伸びて広がるため、宇宙ステーションでは机に向かったまま服も脱がないで髪を洗う。水は髪の毛についたままで、流れ落ちたりしないようだ。シャンプーをつけて洗ったらガーゼでふき取る。そして、すすぎの水をつけてガーゼで吹けば洗髪は終わる。ドライヤーの必要はないようだ。無重力では水は伸びて広がっていくから、当初の計画では体を洗うのに1人10リットルを計算していたが、2人でもそれ以下になったという。実業家の前澤友作氏が国際宇宙ステーション(ISS)で、2021年に僅かな水を使い苦労して宇宙船用のシャンプー動画を出していた。そこで、宇宙で使う“ドライシャンプーシート”の髪洗いという液体ではないシャンプーついて述べてみる。

 花王は2023年4月、宇宙飛行士の宇宙での洗髪課題に向き合った商品をオープン価格(1200円)で発売したが、数量限定のため現在は購入できない(図2)。前述のようにISSでの洗髪では水がごく少量しか使えないうえ、無重力環境下のためシャンプー液が周囲に飛散しないよう注意する必要がある。また、アルコールは持ち込みに制限があるなどの課題がある。そこで花王は、長年培ってきた“清潔”を提供する技術によって、宇宙飛行士のQOL向上にいかに貢献できるかを考えた。水なしで簡便に頭皮や髪の汚れをふき取れる洗髪シート「3D Space Shampoo Sheet」を開発(図2)し、シートに突起を作り髪にしっかりフィットするように凹凸に工夫されている。2021年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の取り組みである「宇宙生活/地上生活に共通する課題テーマ・解決策のアイデア募集」に応募し、採用となった。2022年10月より若田光一宇宙飛行士が地上に帰還するまでの約半年間も、国際宇宙ステーションに搭載されていたのである(図3)


 若田宇宙飛行士のために開発した商品で彼は、「お風呂やシャワーのない宇宙ステーションでも本当にすっきりするなという感じがします。凹凸が付いていてマッサージをするように汚れをふき取ることができるので、本当に根元からすっきりするという感じですね。とても爽快な感じが残ります」と感想を述べた。では、宇宙だけでなく地上で日々頑張る人たちの洗髪の悩み解決に向けたドライシャンプーシートは、水で洗い流さない分汚れや皮脂がたまりやすいといわれているがどうだろうか。


生きた皮膚のロボット

 2024年7月に、東京大学大学院情報理工学系研究科の竹内昌治教授を中心としたメンバーが人の皮膚細胞から作製した“培養皮膚”を利用し、細胞由来の生きた皮膚を持つ顔型のロボットを開発した。ヒトの皮膚細胞を顔の形に成長させ、靭帯のようなものを埋め込んで、大きく笑うように引っ張った。この結果は不気味ではあるが、より生命に近いロボットを作るための重要な一歩である(図4)、と竹内教授は語った。「これらのアクチュエーターとアンカーを取り付けることで、初めて生きた皮膚を操作することが可能になりました」と付け加えている。つまり人間の皮膚を支える生体組織を模倣し、人工素材にしっかり貼り付けられる手法を開発した成果だ。この先端技術により、現在のシリコンゴムの皮膚よりも人間に近い外観と、発汗などの生体機能を備えたヒト型ロボットの開発につなげられるという。

 この研究グループは3年前に同じくヒトの細胞から表皮と真皮細胞を培養した1.5㎜の生きた皮膚で覆われたロボットの指の開発に成功している(図5)。シワもあり、切り傷を付けても、コラーゲンの絆創膏を貼ると人間の皮膚のように直すことができたという。こうした生体組織を融合させたバイオハイブリットなロボットの利点は、機械仕掛けでは真似できない生き物の優れた運動能力や防御と修復の能力を持たせられることだ。生体組織はエネルギー効率が良く、動力消費が機械より少なくて済むと期待されている。


 ただしバイオハイブリッド・ロボットの開発はまだ研究段階で、実用化は遠い。特に生体組織維持のための栄養分とエネルギーの補給をどのようにするか、という独特の技術的問題がある。

 すでに人工知能技術と機械工学技術を組み合わせて、人間が行う作業をうまくこなし、人間に近い表情を浮かべて受け答えができるヒト型ロボットの開発が進んでいる。そこに生体工学技術まで加わって、見た目や触ると皮膚までもつ人間に近いロボットが生まれるかもしれない。

おわりに

 1916年に日本の油脂化学者、辻本満丸(工業試験所、現・産業技術総合研究所)博士がサメの肝油からスクアレンを発見した。酸化を防ぐため水素添加し、安定化したスクワランは、化粧品原料として広く使われている。実はこの原稿執筆中に、北極圏の沿岸や海氷上に生息するシロクマの体毛に氷が付着しにくいという謎を解明したニュースが入った。

 毛穴近くの皮脂腺から分泌され、毛に広がる皮脂の成分を分析したところ、スクワレンと呼ばれる炭化水素が含まれておらず、脂肪酸やコレステロールで構成され、エイコサン酸などの成分が多いことで氷の付着しにくさにつながっている。人間の商品や素材開発には頭が下がる。しかし自然界の賢さにはもっと頭が下がる。

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島田邦男

琉球ボーテ(株) 代表取締役

1955年東京生まれ 工学博士 大分大学大学院工学研究科卒業、化粧品会社勤務を経て日油㈱を2014年退職。 日本化粧品技術者会東京支部常議員、日本油化学会関東支部副支部長、日中化粧品国際交流協会専門家委員、東京農業大学客員教授。 日油筑波研究所でグループリーダーとしてリン脂質ポリマーの評価研究を実施。 日本油化学会エディター賞受賞。経済産業省 特許出願技術動向調査委員を歴任。 主な著書に 「Nanotechnology for Producing Novel Cosmetics in Japan」((株)シーエムシー出版) 「Formulas,Ingredients and Production of Cosmetics」(Springer-Veriag GmbH) 他多数

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