レブロン 菅野沙織社長、業績のV字回復に成功

C&T 2017年6月15日号 64ページ

カンタンに言うと

レブロン 菅野沙織社長、業績のV字回復に成功
 レブロンは1932年、世界恐慌の渦中にあるアメリカ・ニューヨークで創業した。

 人々の心が絶望感で覆われていた時代に、創業者のチャールズ・レブソン氏が世界で初めて発色のよい赤いネールエナメルを開発し、世に送り出した。その色の美しさは女性の心を捉え、前を向く力を与えた。

 すぐに大企業へと成長し、ファッション界のリーダーとしての地位を確立したレブロンは世界に進出し、日本には1963年に上陸した。日本で着実に人気ブランドとなるも、その勢いは競合に気圧され、上陸当初のような華々しさが次第に衰えていった。

 この状態から立ち直るべく、ヘッドハンティングされたのが菅野沙織社長だ。菅野社長に、当時の輝きを取り戻したレブロンのマーケティング戦略について話を伺った。

「憧れのレブロン」に再度輝きを与えたい
20年ぶりにマーケティング部門に復帰

 ――ずっと化粧品業界で経験を積み、レブロンに社員として在籍していたこともあったと伺っています。

 菅野 4年制大学を卒業後、最初に入社したのはノエビア化粧品だった。そこで私は宣伝部に配属され、広報の経験をした。その後、広告代理店に転職し、資生堂の海外市場のマーケットプランナーを担当した。次にエル・インターナショナルを経験し、1994年にヘッドハンティングされてレブロンに入社することになった。

 この頃、レブロンはシンディ・クロフォードなどその時代をときめくスーパーモデルを広告に起用していた、日本人女性にとっても憧れのブランドになっていた。

 私の大学生時代のレブロンは、それこそ誰もがカッコイイと認めるブランドで、パールピンクのネールとリップが定番だった。お店に買いに行ってもいつも売り切れで、わざわざ上野のアメ横に並行輸入品を買いにいくか、海外旅行に行く友人にお土産でレブロンのネールとリップをお願いするような圧倒的な人気を誇っていた。

 そういうレブロンのファンでもあったし、ちょうど私がヘッドハンティングを受けた時、ヘアケアやスキンケア、百貨店ラインを撤退してセルフのマスマーケットに集中して広げようとしていた時期だったので、その挑戦の時代に携わりたいという思いがあり、スカウトを受けた。

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