【訃報】アルビオン取締役名誉会長 小林英夫氏が逝去

粧業日報 2025年1月21日号 3ページ

カンタンに言うと

  • 実質的な創業者として社業の発展に貢献
【訃報】アルビオン取締役名誉会長 小林英夫氏が逝去

 アルビオンの2代目社長で取締役名誉会長の小林英夫氏は、かねてより病気療養中のところ1月5日に逝去した。享年92。葬儀は近親者のみで執り行われた。後日、会社主催で「お別れの会」を執り行う。

 英夫氏は1932年(昭和7年)6月18日、創業者・孝三郎氏の次男として誕生した。神武景気となべ底不況にはさまれた1956年(昭和31年)3月2日、詰め襟の学生服姿で、卒業を間近に控えた早稲田大学から京橋の登記所へ赴くなど、「世界一の高級化粧品メーカーになる」という壮大な夢を叶えるべく父・孝三郎氏とともに経営に参画。実質的な創業者として日本にはまだない高級化粧品専門メーカーの創業に立ち会った。

 当時は銀座1丁目の小さなビルの1階、広さわずか8坪という小所帯で、全くゼロからのスタートだった。そのため、まずは一営業マンとしてお店の新規開拓に取り組んだ。文字通り全国各地を渡り歩く日々で、本社はおろかほとんど東京にはいないあわただしい生活を送った。

 その後、着実に実績を積み上げ、1961年(昭和36年)に取締役、1964年(昭和39年)に代表取締役社長に就任した。英夫氏のリーダーシップのもと、「一流店厳選主義」の方針が徹底され、専門店との信頼関係が構築され、現在のアルビオンに続く基礎が築かれていった。

 創立25周年を機に「第二の創業期」を宣言。組織・人事の刷新や組織体質の改善にも着手した。それと並行し、製品ラインの拡充を図り、多様な肌質やライフスタイルに対応するブランド展開を進め、顧客層を広げ、ブランドの認知度も高まっていった。

 また、海外展開も積極的に推進し、1964年(昭和39年)には香港とハワイへの初の海外輸出に踏み切り、1976年(昭和51年)にはシンガポールとマレーシア市場への輸出も開始する等、東南アジアでの市場開拓に道筋をつけた。その後、アルビオンの国際事業が順調な進展を遂げる中、国際事業をよりスムーズに展開するため、海外への拠点設置を加速。2003年(平成15年)、米・ニューヨークに「ALBION Cosmetics (America), Inc.」と英・ロンドンに「ALBION Cosmetics (UK) Limited(現UK Branch)」を開設し欧米での販売体制を整え、2006年(平成18年)には香港に「ALBION Cosmetics (HK) Limited」も開設した。

 さらに、時代に先駆けて女性登用を積極的に推し進め、創業メンバーの一人である町田智子氏(初代美容部長、同社初の女性取締役)を「接客力」を担う責任者に抜擢するなど、人材登用面でも業界を先導した。

 2006年(平成18年)には長男・章一氏に経営をバトンタッチし、代表取締役会長に就任。2016年(平成28年)からは取締役名誉会長を務めていた。

 粧業界の発展にも積極的に取り組んだ。1980年(昭和55年)には財団法人日本粧業会理事、東京化粧品工業会理事、1983年(昭和58年)には日本化粧品工業連合会理事、化粧品公正取引協議会理事、1998年(平成10年)には日本化粧品工業連合会副会長、化粧品公正取引協議会副会長を務めた。

 こうした社内外における活動が高く評価され、1986年(昭和61年)に埼玉県知事表彰(薬事功労)、1993年(平成10年)に厚生大臣表彰(薬事功労)、2001年(平成13年)に藍綬褒章、2003年(平成15年)に公正取引委員会委員長表彰(景品取引功労)を受賞している。

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