第41回 「中小スーパーマーケットの連合体を構想」(さえきセルバホールディングス 佐伯行彦社長)

【週刊粧業2020年12月14日号6面にて掲載】

 東京都国立市を拠点として、関東、山梨、山陰など1都7県に50店を展開し、売上高も520億円を超えるスーパーマーケットが「さえきセルバホールディングス」である。同社は近い将来、売上高1000億円、経常利益率3%を達成して株式公開をめざしている。

 同社の創業は1979年11月、国立市内の僅か16坪の青果店がそのスタートである。創業者の佐伯行彦社長は、姉妹誌「流通ジャーナル」が2009年に発行した「さえき創業30周年記念特集号」における私とのインタビューで、創業当時の経緯を次のように語っている。

 「私が10代のときは、勉強が嫌いで仲間を集めて暴走行為を繰り返していました。仲間が集まると800人位になります。同じ仲間にはその後、ひとかどの俳優になったもの(注 宇梶剛士氏)もいます。結局、高校を2度退学になり、親戚にあたる平富郎さん(現エコス会長)に引っ張られて、たいらや(現エコス)で青果の商売を覚えさせられました。転機となったのは20歳のとき、単身アメリカに渡ったことです。いろいろなものを見聞きして、ものの見方、考え方が変わりました。私の人生にとって大きな転機となったのです。
 そして私が24歳のとき、南武線矢川駅近くに売場16坪の青果店をオープンしました。その10年後の1989年、売場面積150坪のスーパーマーケット1号店『国立店』(現国立食品館)をオープンしたのです。この店はオープン当初から深夜12時まで営業するなど評判となり、非常に繁盛しました。このためそれ以降、多摩地区を中心に順次店舗を増やしていったのです」

 そして2000年、山梨県甲府市の地方百貨店「岡島百貨店」(当時)が経営不振で、展開していたスーパーマーケットを売却することになり、そのうち5店を買収した。さえきのM&Aの始まりである。

 2004年には、島根県安来市のスーパーマーケット「原徳チェーン」が民事再生法の適用を申請した。さえきがその正式スポンサーとなり、15店の営業権を譲り受けて完全子会社(現フーズマーケットホック)とした。次いで2009年、茨城県神栖市の「マル平ストア」の7店を営業譲受した。

 それが現在の「茨城さえき」である。さらに2013年、山梨県南部で展開する「セルバ」(現山梨さえき)と経営統合して「さえきセルバホールディングス」を設立した。そして2018年には、生産性の向上をめざし、事業会社を3社に再編成して現在に至っている。

 2018年3月、数カ月間の病気療養を経て現場に復帰した佐伯社長は、取引先を集めた翌年の新年会で、「2年ないし3年近くかけて全店をリニューアルする」と新たな決意を明らかにした。

 また彼は、「人口が減少している状況の中では、出店には限りがあります。それよりも今ある経営資源をいかに再生させるかが大切です。これからの日本経済は、『地域再生』と『企業再生』です。スーパーマーケット業界も例外ではありません」とも語っている。

 佐伯社長は、全国のスーパーマーケット44社で組織するボランタリーチェーン「協同組合セルコチェーン」の理事長でもある。「全国の中小スーパーマーケットによる連合体構想の実現をめざして頑張りたい」。病癒えて意気ますます盛んである。

 (次回は、イオン 岡田卓也名誉会長)
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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