ネイチャー生活倶楽部・垂見社長、「自分が使いたい」を商品化、粘り腰で得る製造協力が支え

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ネイチャー生活倶楽部・垂見社長、「自分が使いたい」を商品化、粘り腰で得る製造協力が支え

 国語教諭から転じて化粧品業界に身を投じた変わり種。 熊本県菊池市で質屋業に精出す父親の背を見て育った垂見和子社長は、ある時「これから先、狭い商圏を相手にする事業には限界がある」ことを肉親の苦労から透かし絵のように見て取り、当時は販売形態の名称も知らずに「全国がお客様になるダイレクトマーケティング (通信販売)」に強い興味と関心を膨らませていた。

 実戦に勝る修練はないと腹に決めた28歳の時、伸び盛りだった化粧品メーカーに飛び込んだ。1992年までの8年間に「徹夜が珍しくないほど働いた」という重労働の対価として、給与だけでなく「事業全般をいい意味で勉強させていただいた」など開業へ貴重な原資を蓄えた。

 ただ、仕組みや体系が理解できても器に盛る商品が見当たらない。そうした折、縁あって訪れた天草の製塩業者が「専売法が解け、自分たちが欲しい塩を作って会員制で販売していた。灼熱のハウスに海水を引いて汗だくで塩の結晶を作る光景に逞しい自然=ネイチャーと遭遇。『これだ』という感動」を得た。

 以降は「自分が本当に欲しいと思えるシャンプーづくり」にまい進した。動機は、この頃に姉妹で悩む抜け毛が発端の事情調査の過程で「事業者から『シャンプーは洗剤。リンスはカーワックスと同じ』と聞いて感じた憤り」をバネに、「気になる原料は一切使わない製品」を追い求めた。

 受託製造業者から突き放されては追いすがり、2年間に約200回の試作を重ねて開業第1号商品を手中にした。両親宅の一角にシャンプーの在庫を積み上げて意気込む娘の奇行に、肉親は「床が抜ける」と嘆いた。

 それから20年間が過ぎる現在までに、基礎化粧品づくりでは9年間を費やしたほか、納得のファンデーションを追う長旅は8年間を要した。約十数万人という会員顧客が製品に抱く満足感は、先の塩に似て製造委託先の苦労が変質した「結晶」なのかもしれない。

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