第3回 「ベントンビルでの衝撃」(ウォルマート リー スコット元社長)

【週刊粧業2019年11月18日号5面にて掲載】

 20年近く前になるが、西友がウォルマートと提携して間もなく、西友の広報室長の紹介で、アーカンソー州ベントンビルにあるウォルマート本部を訪れる機会があった。

 アーカンソー州は全米でも最も貧しい州の一つで、ベントンビルは州都リトルロックから遠く離れた同州北西の田舎町である。いまはノースウエスト アーカンソーという地方空港が近くにあるが、訪問した当時はまだない不便な土地だった。

 現在はそれなりの本部ビルが建っているが、当時はプレハブ平屋建ての極めて質素なものだった。受付や待合室も簡素で、「これが世界最大の小売業の本部なのか」と驚いた。

 当時のリー スコット社長兼CEOの執務室に案内され挨拶した。スコット社長はロジスティック部門を担当する副社長を経て社長に昇格した。ウォルマートが上場した初期の年次報告書を見ると、先ず物流センターが開設された後、その周辺に円を描くように店舗が配置されていることが分かる。物流はウォルマートの根幹であると言える。スコット氏はそれを統括する総責任者だった。

 「スコット社長、失礼ながらこの部屋はかなり狭いですね。しかもドアは開けっ放しです」

 「これはサムが使っていた当時の部屋をそのまま使っているんです。ドアが開けっ放しなのは、当社の従業員なら誰でも、いつでも私に会うことができるようにしているからです」

 ウォルマートの創業者 サム ウォルトン氏は、ウォルマートを創業する前、バラエティストアのベン フランクリンをFC経営していた。本部にほど近い その1号店の跡がいまウォルトン記念館となっている。そこに展示されている赤い傷だらけのピックアップトラックこそ、ウォルトン氏が毎日朝早く、自分で運転して本部に通っていた当時のものだった。

 ウォルマート本部の隣は、サムズクラブの本部で、さらに輪をかけて質素な建物だった。だがすぐ近くにある情報通信センターや物流センターは超近代的な巨大なビルだった。その著しいギャップにいまさらながら驚いた。

 ウォルマートのスーパーセンターを訪れると、何人かのキャッシャーがレジの前に立っている。「このレジがいま空いています」というサインだ。お客さんが近付くとレジのラインに招き入れる。競合する他社では見られない風景だった。

 バックヤードの床には、ある間隔で太い線が3本引かれている。何だろうと思っていたら、店長が説明してくれた。

 「ここに立って遠い方の線までお客さまが歩いて来たら笑顔を見せなさい。近い線まで来たら『ようこそ ウォルマートに』と挨拶しなさいという意味なんです」

 ウォルマートには、入口に大きなカートをお客さんに手渡す『グリーター』という従業員がいる。ほとんどが年配の人たちだ。このアイデアは1人のパートの提案がきっかけだった。ある店で試しにグリーターを置いたところ効果があったという。このためいまでは全米のウォルマート全店に配置されている。お客さんを温かく迎え入れるという役割はもちろんだが、もう一つの狙いは万引き防止だ。

 同社は毎週末、全米各エリアの営業担当副社長が集まる会議を開いている。そこではいま店舗で起こっている全てのことについて情報交換している。あれほど巨大企業になっても、最も大切にしているものは「現場の動き」なのである。
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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