第30回 生気がなくでも世紀を生きる

【C&T2017年4月号7面にて掲載】

はじめに

 女性はいつの時代もいつまでも綺麗に年を重ねていきたい。今は便利な商品が様々出回っているが、だんだん自分には何が合っているのかわからず、化粧品ジプシーになってしまった方は、改めて見直してほしい。昔からずっと愛され続けているロングセラーコスメは、どれもドラッグストアで手に入るものばかりだ。

 春・秋に新製品が生まれては消える化粧品の世界で、発売当初のような生気(勢い)はなくても1世紀も生きているブランドがある。祖母の代から続くような奇跡に近い商品力をもつブランドは、どのようにして生まれたのだろうか。今回は、開発する側の私たちがその製品から何かを学ぶこととしたい。

収斂性化粧水1)

 明治18(1885)年に発売され、今も販売され続けている化粧水がある。それは明色美顔水薬用化粧水である(図1)。



 桃谷順天館の創業者・桃谷政次郎の生家は寛永年間から紀州粉河(現 和歌山県紀の川市)で代々薬種商「正木屋」を営む家系で、政次郎自身も21歳で紀州初の薬剤師となった(図2)。



 もともと紀州徳川家のひざ元の庄屋であったが、家督を相続して3年目の桃谷家は借金に苦しんでいた。明治4年の廃藩置県で藩主は東京に移り、新政府の金融引締めで物価が暴落し、田畑の価値は4分の1にまで落ちていたのである。

 そんな政次郎は、経営難に苦しむ家業の立て直しのために、妻・コウを残し、西洋医学の創薬を学びに東京帝国大学で桜井郁次郎に師事した。半年後に努力の結果、皮膚治療薬と婦人薬を完成した。

 帰郷前に留守を預かるニキビに悩む妻・コウのために、政次郎はサリチル酸を配合した1本のニキビとり化粧水を試作した。もちろん商品として販売するつもりなどなかったが、コウのニキビ解消が評判となり女性が正木屋を訪れるようになった。

 明治の頃に来日したドイツ人医師ベルツが調剤した有名なベルツ水は、グリセリンの保湿で皮膚の角質を軟化させてカサカサ状態を改善する水酸化カリウム(苛性カリ)配合のアルカリ性の柔軟性化粧水だった。しかし、政次郎の美顔水は弱酸性で過剰な油分の分泌を抑え、皮膚を引き締め整える収斂性化粧水として新さがあった。

 結局、コウの提案で商品化され、売薬製造業として桃谷順天館が今から132年前にスタートにしたのである。同じ東京帝国大学に処方のルーツをもつ、資生堂のオイデルミンよりも12年前に発売されている。

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島田邦男

琉球ボーテ(株) 代表取締役

1955年東京生まれ 工学博士 大分大学大学院工学研究科卒業、化粧品会社勤務を経て日油㈱を2014年退職。 日本化粧品技術者会東京支部常議員、日本油化学会関東支部副支部長、日中化粧品国際交流協会専門家委員、東京農業大学客員教授。 日油筑波研究所でグループリーダーとしてリン脂質ポリマーの評価研究を実施。 日本油化学会エディター賞受賞。経済産業省 特許出願技術動向調査委員を歴任。 主な著書に 「Nanotechnology for Producing Novel Cosmetics in Japan」((株)シーエムシー出版) 「Formulas,Ingredients and Production of Cosmetics」(Springer-Veriag GmbH) 他多数

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