ヒノキ新薬、半世紀以上にわたり研究・製造の自社一貫体制を堅持

C&T 2013年6月17日号 64ページ

カンタンに言うと

ヒノキ新薬、半世紀以上にわたり研究・製造の自社一貫体制を堅持

 ヒノキ新薬(本社=東京都千代田区)の阿部武彦社長は、1976年に代表取締役社長に就任して以降、オイルショックやバブル崩壊など激動の時代を乗り越え、現在も経営の第一線で手腕を発揮している。

 国内の有力化粧品メーカーを見渡しても、35年以上にもわたり経営トップに立って業界に携わることは極めて稀と言えるだろう。化粧品業界の変遷を見つめてきた阿部氏に、自身のこれまでの歩みや海外展開の現況について話をうかがった。


ヒノキチオールに新たな作用を発見

科学的根拠のある化粧品づくりが信条


 ――1976年の社長就任からこれまでご自身が歩んでこられた化粧品業界を改めて振り返ると。

 阿部 日本の化粧品市場は様々な変遷を辿ってきたが、今も昔も「草木もなびく」という言葉通り威勢が盛んなものに左右されやすい点は全く変わっていない。

 私が社長に就任した当時、日本の化粧品市場は「エスティローダー」や「レブロン」といったファッション的なイメージを持つ海外メーカーを取り扱うことになびいていた。団塊世代が化粧品を購入する頃になると、今度は各メーカーの視線が一斉に低価格化粧品へと向いた。

 日本の化粧品市場は近年、中国マーケットになびいている。中国の化粧品マーケットなしでは日本の将来がないみたいなことを言う人もいるが、これに対して甚だ疑問である。

 また、最近では通販チャネルを展開していないと化粧品メーカーではないといった風潮も見受けられ、今まで小売業でお世話になっていたにも関わらずネット通販に参入する国内化粧品メーカーが相次いでいる。

 ――化粧品業界が時代とともに移り変わる中、これまでどのような企業経営を心がけてきましたか。

 阿部 当社はどこに風が吹こうが草木がなびこうが、創業来これまでやってきたことはまるっきり変わっていない。

 1956年に父・阿部武夫が創業し、製法特許によるヒノキチオールを配合した世界初のピールオフ・タイプの美容パック「サンリョウパック」の製造販売からスタートした。以後、ヒノキチオールを配合した、全製品が医薬部外品のスキンケア製品「ヒノキ肌粧品」の研究開発・製造・卸売を展開している。

 ヒノキチオールは1936年、野副鐵男博士によって発見され、当初は優れた殺菌効果と消炎作用といった薬理効果しかわからなかったが、その後はメラニン抑制作用などが確認されている。

 そして、発見から76年経った昨年には、東京理科大学薬学部との共同研究によってヒノキチオールが老化制御に関与している「サーチュイン遺伝子」を活性化する新たな作用が発見された。今もなお、ヒノキチオールに新たな効能効果があることに驚いているが、こうした発見ができたのも、化学構造式が独特で数少ない7角形の分子構造を持つヒノキチオールに未知の可能性があると信じて、ずっととどまっていたからにほかならない。

 最近の人はすぐに「○○にこだわる」と言うが、これは大きな間違いで私はこの言葉は使わない。元々は「こだわるな」という否定語であり、いつの間にか肯定語になっている。人間はこだわってはいけない。

 ヒノキ新薬はヒノキチオールにこだわっていたわけではなく、創業来から大切にしてきた。普通の企業なら70年も経てば新たな物質へと方向転換すると思うが、当社はそれをしなかった。ヒノキチオールの効能効果は、すでにあるものだけでも充分だと思いながら用いていた。だからこそ、サーチュイン遺伝子への作用があると明らかになった時はヒノキチオールが私たちに御礼をしてくれたのだと思った。

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