エトワール海渡、海渡五郎氏の「お別れの会」厳かに

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エトワール海渡、海渡五郎氏の「お別れの会」厳かに

 エトワール海渡の元社長で、社員診療所を開設するなど数々の功績を残した海渡五郎氏(享年85)の「お別れの会」が2月24日、帝国ホテルにおいて行われた。当日は五郎氏の幅広い人脈を象徴するように、様々な業界から約1200人が参列し、故人を偲んだ。

 五郎氏は、1928年11月26日、東京都中央区日本橋で誕生した。母親の願いに応えるように医学の道を志し、1952年3月に東京慈恵会医科大学医学部を卒業、翌年4月に同第一内科に入局した。1957年3月に医学博士の学位を取得後、同年10月にはエトワール海渡社内に社員診療所を開設し、初代所長に就任した。療生活の社員のために夜中に往診することもあったという。

 1959年12月に同社に入社し常務に就任すると、経営者としての手腕を発揮して事業面では1974年に先駆けてコンピュータによる経営情報管理システム(POSシステム)を導入。流通の未来を見据え、小売店や社員とともに流通先進国のアメリカへ視察を重ねた。

 社員の健康管理や教養・文化の充実にも熱心で、直営の社員食堂を開設(1962年)したり、エトワール学園を設立(1963年)したほか、業界初の企業内保育園を開設(1977年)するなど、事業以外の取り組みも充実させた。それはひとえに五郎氏の「社員の成長があって初めてそれがお客様に還元される」という思いからだった。その功績が認められ、1988年には安全衛生管理向上に尽力したことで労働大臣賞を受賞、1990年には社員の栄養や食生活改善に貢献したとして厚生大臣賞を受賞した。
 1980年に副社長を経て、1985年に社長に就任すると、イタリアのニットブランド「リオラ」社をはじめとする個性的な海外ブランドの導入に注力した。1997年に日本装粧品協同組合連合会の会長に、2004年にエトワール海渡の会長に就任。その間、フランス国家功労勲章(オフィシエ)を受賞するなど海外にまで功績が評価された。

 五郎氏は生前、「恕(じょ)」という言葉を好んだ。論語の中で孔子の言葉として引用されており、「思いやり」や「相手の立場に立って考える」という意味を表す。「いつも相手の立場に立ってものを考えるやさしい人になってほしい」との願いを込め、新入社員らに歓迎の言葉として贈っていたという。

 こうした五郎氏の思いは、いかに時代や環境が変化しても不動のものとして受け継がれ、同社の施策の中に反映され続けている。

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