パーミンダイゴウ、顧客の美容意識を刺激する店へ

週刊粧業 2014年10月27日号 11ページ

カンタンに言うと

パーミンダイゴウ、顧客の美容意識を刺激する店へ
 パーミンダイゴウは1914年、浦和の下木崎に染色工場を開業、メリヤス製造業を始めた。その流れで1930年に衣類や食品、日用品の小売り事業を開始し、1948年に北浦和駅前に支店を開店した。

 1950年に創業の地である下木崎の店舗を廃し、北浦和店を本店とした。紆余曲折を経て、現在の4階建ての自社ビルに移転したのは1986年のことだ。以降、化粧品、婦人服、手芸用品を販売してきた。

 時代の流れとともに手芸用品売場を廃してここ数年は化粧品販売に注力し、パーミンダイゴウの売上げは化粧品が牽引している。

 同店の近年の取り組みについて鈴木由美子店長と大郷徳子氏に話を伺った。

一時、ネール強化で化粧品売上激減も
SPS参加後は7期連続の目標達成

 パーミンダイゴウが展開する化粧品店「コスメティックコート」では、資生堂、カネボウ、コーセー、アルビオン、フィルナチュラントのほか、海外雑貨系ブランドのMORを取り扱っている。

 現在は化粧品の売上げも上向きになっているが、同店も苦労を強いられてきた店の1つだ。

 店舗を構える北浦和駅には、H&Bに強いドラッグストアが林立し、同店の主力製品である資生堂のお客を奪っている。さらに隣駅の浦和駅には伊勢丹があるため、化粧品を買いたい時には、伊勢丹に足を運ぶ人がほとんどという。

 ダメ押しになったのが交通の便の良さで、都内にも出やすくお客は四方八方に分散している。このような状態が続き、今や北浦和駅周辺は店が減る一方という。

 さらに同店を苦境に立たせたことが、ネールサロン「プティ・ディアマン」開店だ。

 7年前、店に新しい風を取り入れる狙いで店内の一画を利用してネールサービスを導入した。当時、ジェルネールが流行の先端であり、若い女性を中心に普及し始めた頃だったため、結果は狙い通りとなった。ネールサロンだけで1カ月の売上げが100万円を超えていた時期もあったという。

 しかし、資生堂の販売担当をしていた鈴木店長がネールサロンにかかり切りになり、資生堂の化粧品の売上げが激減し、化粧品全体の売上げにも影響が及んでしまった。ネールサロンが好調な裏で、化粧品販売が落ち込み、起死回生策がなかなか打ち出せない状況に陥っていた。

 四苦八苦しながら化粧品販売を続けていたが、同店にもようやく希望が見出せるできごとがあった。

 それが、資生堂の「SPSプログラム」への参加だ。加えて、それまで他社で会社員をしていた大郷氏がパーミンダイゴウに入店し、店の業務の分担ができるようになった。さらに大きな力となったのが、ベテランスタッフが入店してきたことだった。

 他店で店長を務めていた美容部員が、その店の閉店を機に同店に美容部員として入店してきたという。実は、その女性は昔、パーミンダイゴウで資生堂の美容部員として働いていたことがあり、同店のお客にも顔なじみが多く、店で働くようになるとすぐに溶け込んだ。

 そして、店の帳簿を見たその美容部員は、先頭に立つようにテコ入れを実施し、店で働く美容部員たちの士気を上げていった。

 ようやく化粧品店としての「あるべき姿」を取り戻した同店は、2010~2013年の期間中、資生堂の「SPSプログラム」で目標に掲げている3カ年計画を上回る7期連続で前年比10%増の売上げを達成したという。

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