海渡二美子会長のお別れの会、しめやかに

粧業日報 2017年8月7日号 3ページ

カンタンに言うと

海渡二美子会長のお別れの会、しめやかに
エトワール海渡・中興の祖の
生き様を偲び約1500人が参列

 6月13日に老衰で逝去したエトワール海渡の海渡二美子会長(享年93、本名・早川二美子)の「お別れの会」が7月28日、帝国ホテルにて執り行われた。

 当日は二美子氏の人となりを象徴するように、小売店やメーカーなど様々な業界から約1500人が参列し、故人を偲んだ。

 二美子氏は、関東大震災の3日後の1923(大正12)年9月4日、東京市本郷区で生まれた。両親が経営する海渡商店の中で育ち、1941年に名古屋帝国大学助教授の早川吾郎氏との結婚を経て専業主婦になった。

 しかし、1945年3月、21歳の時に東京に出張中だった夫を戦災で亡くしたため、実家の海渡商店に戻り、一人息子を育てながら同年8月より家業を手伝うことになった。

 入社後も社長の娘と特別扱いされることなく、社員の弁当づくりから始めたという。

 先頭に立って社内デザイナーと商品企画を行い、モノづくりをとことん追求する姿勢は、女性ならではの感性と目利き力が相まって、ヒット商品を次々と生み出すことにつながった。

 海外にも積極的に目を向け、ヨーロッパの文化や商品をいち早く取り入れ、全国の小売店に対してヨーロピアンクラシックスタイルの普及に尽力した。

 1994年には、長期にわたるタイ国に対する経済活動や人材育成活動などが評価され、外国人に贈られるタイ王国最高の勲章である「ホワイト・エレファント勲章(白象勲章)」を贈られた。

 同年には東京商工会議所の一号議員となり2000年には常議員になった。

 2004年にエトワール海渡の社長に就任し、2006年からは東京都装粧品協同組合理事長や日本装粧品組合連合会会長なども務めた。

 2014年に弟の五郎氏が亡くなると、同年6月に会長に就任。その後、生涯を閉じるまで72年の長きにわたって商いと真剣に向き合い、取引先や仕入れ先など人と会う時は、一期一会の心で出迎え、「余情残心」の心で見送ることをモットーに、日々のこまやかな心遣いを大切にしていた。

 座右の銘は、やわらかな笑顔とやさしい言葉で、相手の意志を先んじて知り、その要求を満たすことを意味する「和顔愛語(わげんあいご) 先意証問(せんいじょうもん)」。相手に対して思いやりのある優しい言葉といつも感謝の心を持つことを信条とした。

 この信条は社員に対しても同様に向けられ、社員には誰からも必要とされる人・なくてはならない人であってほしいと伝え、常に情熱と強い信念を持ち続け、日々生き生きと全力で社業の発展に力を尽くした。
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