ウテナ・岩倉具房社長、自ら変革し成長し続ける企業に

粧業日報 2017年3月28日号 1ページ

カンタンに言うと

ウテナ・岩倉具房社長、自ら変革し成長し続ける企業に
 ウテナは、1923(大正12)年に東京・本郷で薬店「久保政吉商店」として開業し、初代社長の久保政吉が開発した「ウテナ液」から化粧品開発の歴史が始まった。

 白粉で肌を白く見せていた当時、「肌そのものを白くする」という発想は、化粧品市場に最初の「美白美容」の概念をもたらすことになった。

 華美に飾るのではなく人間本来の美しさを追求する「ヒューマンケア」の考え方は、現在も企業理念として息づいている。



化粧品の歴史を塗り替える数々の功績

 ――90年の間に、「ウテナ液」を筆頭に化粧品市場に様々な歴史を刻んできました。

 岩倉 美白美容液の「ウテナ液」は、日本で初めての通販化粧品でもある。広告を婦人雑誌に掲載し、ハガキを送った方に説明書を送り、注文を取る販売方法を確立し、通販化粧品の基礎となった。

 1927(昭和2)年に、現在の本社がある世田谷に移転し法人化して、本格的に化粧品の開発に着手した。

 法人化第1弾の商品がバニシング、ハイゼニック、コールドの3種のクリームだ。当時、市場には様々なクリームがあり、生活者は自分にどれが合うのかわからなくなっている状態にあったので、当社が「花印」「雪印」「月印」とわかりやすく体系化し、ヒットの要因をつくった。

 1957(昭和32)年には、化粧品市場初の男性用クリーム「男性クリーム」を開発し、男性にスキンケアの必要性を提唱して爆発的なヒットを記録した。同製品は、化粧品需要の拡大に貢献した功績を評価され、週刊粧業が創設した「週刊粧業文化賞」の中の「第1回需要拡大功労賞」を受賞している。

 もうひとつ際立っていた商品は「お子さまクリーム」が挙げられる。

 幼稚園から当社に、「園児が砂遊びで手が荒れてしまったのでウテナで何かつくってほしい」とお電話があり、製品化した。その後、市場競争が激しくなり、子供専用クリームが様々な企業から発売されるようになった。

 こうした数々のヒット商品は、お客様の悩みに寄り添い、お客様自身も気づいていないニーズを掘り起こした結果生まれたものだ。久保政吉創業社長の思いは、今も受け継がれ、企業理念になっている。

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