アンチエイジング、創業10年間は幹細胞培養液自体の歴史

週刊粧業 2022年1月1日号 73ページ

カンタンに言うと

  • 創業者の志を引き継ぎ発展させ大躍進
  • 7種類のラインナップ展開により販売チャネルの大幅拡大に繋がる
  • 正しい情報発信と情報開示で市場全体の健全な発展を目指す
アンチエイジング、創業10年間は幹細胞培養液自体の歴史
 アンチエイジングは、日本のヒト幹細胞培養液におけるパイオニア企業として2012年の設立以来ヒト幹細胞培養液を専門に化粧品原料を供給し続けている。2022年には設立10周年を迎える。

 日本におけるヒト幹細培養液の歴史はアンチエイジング社の歴史であり、日本に上市してからの10年で、当時は誰も知らなかったヒト幹細胞培養液という化粧品原料が一つのカテゴリーを築くまでに至った。

 これまでの振り返りと今後の展望について、牛島美樹社長に話を伺った。

7種類のラインナップ展開により
販売チャネルの大幅拡大に繋がる

 ――10年間で最も印象的な出来事は。

 牛島 順風満帆とはいかない創業当時からヒト幹細胞培養液に関わり、それを世の中にどのような形で提供すべきか暗中模索し、さまざまな出来事が印象深い10年間だが、創業者の野中秀訓が2019年に亡くなったことが最も大きな出来事だ。

 当時の弊社のイメージは野中そのものだった。化粧品原料ヒト幹細胞培養液を日本に持ち込んだのは間違いなく野中の功績であり、その野中を失ったことは弊社にとって大きな損失だった。

 社外に対しても社内的にも大きな柱を失ったかに見えた弊社だが、社内的には逆に社員が一丸となるきっかけとなり、社員一人一人が自社の本質を見直し、その本質の中での自身の役割を再確認する良い契機となった。それぞれが柱となり野中の支えの代わりを担っていった。

 その結果、この2年間で大きな躍進をすることができた。野中という大きな存在を失うことで、弊社は大きな資産を手にすることができたと思っている。

 ――躍進のきっかけとなったものはなんですか。

 牛島 ヒト幹細胞培養液専門という本質に立ち返り、それにこだわり続けたことが一つだ。弊社はRemyStemを原点にヒト幹細胞培養液の化粧品原料だけで7種類のラインナップを提供している。ヒト幹細胞培養液のみならず、一つの化粧品原料でこれだけバリエーションを展開している例は珍しいと思う。

 創業当時は1種類だった原料をこの2年間で7種類まで拡大したことは、弊社のヒト幹細胞培養液に対するこだわりと、顧客に対してきめ細やかな対応を行ってきたためだ。このバリエーション展開によって、多くのお客様からご支持いただけたことが躍進につながったことは間違いない。

 また、このバリエーション展開のためには、マーケットの分析や商品開発の技術向上、韓国での体制の変化も大きく作用し、これらの経験もまた、弊社の資産となっている。

 ――10年間でヒト幹細胞培養液の市場に変化はありましたか。

 牛島 この10年でヒト幹細胞培養液は化粧品原料の一つのカテゴリーとして確立されたと思う。マーケット動向として弊社の顧客の変化を見てみると、設立当初はヒト幹細胞培養液という原料について説明のできる対面販売を行う企業様がメインの顧客だったが、現在ではさまざまな販売チャネルに広がっている。販売チャネルが広がったことが、弊社の躍進のもう一つの理由と言える。今や弊社の原料の最大の顧客は、原料の説明が難しい販路である通販を行う企業様だ。特にWeb通販の伸びが大きい。

 販売チャネルの拡大には正確な情報開示と情報発信が役立った。コロナ禍においても様々な形で、弊社の原料についての情報発信を続けたことで、信頼を得ることができたと感じている。そのためコロナ禍の影響がマイナスになることはほとんどなかった。

 これには弊社の原料が国内マーケットをターゲットにしていたことと、基礎化粧品に使用される高級な原料であることも大きい。つまりヒト幹細胞培養液は、巣ごもり需要の条件を満たす原料であったということだ。インバウンドによる購入が消滅したマイナスを、巣ごもり需要で置き換えることができたのは幸運だった。

正しい情報発信と情報開示で
市場全体の健全な発展を目指す

 ――10周年を振り返って思うところはありますか。

 牛島 野中が化粧品原料としてのヒト幹細胞培養液に着目した時期は、2009年に遡る。現在は弊社の技術顧問を務める李ドンヒ博士との出会いこそ、ヒト幹細胞培養液そのものとの出会いでもあった。ここで出会ったヒト幹細胞培養液を日本に導入するために2012年、設立されたのが弊社だった。

 この2012年は幹細胞にとっても、大きな転換期となった年だった。京都大学の山中伸弥教授のノーベル賞受賞を機に、日本の再生医療が大きく発展を遂げ成体幹細胞にも注目が集まったのだ。

 また、化粧品原料としてのヒト幹細胞培養液は、2010年に当時のKFDA(韓国食品医薬品安全庁)による医薬品GMPに準じた製造基準が作成され、韓国産ヒト幹細胞培養液の品質が大幅に向上した絶妙な時代を背景にした設立だった。あのタイミングでなければ、このような形での発展は無かったのではないかと感じている。

 ――これからの10年に対するプランを伺います。

 牛島 10年前、化粧品については素人だったが故に、常識では考えられないヒトの細胞由来という化粧品原料を上市することができた。10年間ヒト幹細胞培養液という一つの素材にこだわり続けたことで、現在では化粧品業界に一つのカテゴリーを確立することができたと自負している。

 ただ販売チャネルが広がったことで、ここ数年ヒト幹細胞培養液の化粧品が多くの方の目に触れ、多くの方に手にとっていただけるようになった。そのことによって、市場では間違った情報も散見されるようになってきた。

 それらの間違った情報によって、化粧品メーカーや消費者に誤解を与えていることも事実と言える。たった一つの誤った情報により、ヒト幹細胞培養液という化粧品原料そのものが紛い物のように扱われてしまう。

 そこで弊社は、ヒト幹細胞培養液を日本に紹介したパイオニア企業として常に正しい情報発信を心掛け、化粧品メーカーや消費者に対して、正しいヒト幹細胞培養液を理解していただくことが責務であると強く感じている。

 これからの10年間では確立されたカテゴリーとなったヒト幹細胞培養液の専門家企業として、正しい製品の供給を継続していくとともに、健全な発展を目指していきたいと考えている。
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