1977年(昭和52年)の主なトピックス
●大阪で化粧品裁判起こる
●公取委、景品規制告示
●ジュリアーナブランビラ賞(化粧品ノーベル賞)に、資生堂大田、カネボウ二子石両氏
●ライオン油脂、リン配合8%以下に全面切りかえ
関連団体・各社の動向
1977年(昭和52年)1月
◎ポーラ化粧品袋井工場が操業
◎ウエラ化粧品が、ファインコスメチックス設立とともに、プロコス、コスメルトの3社体制確立
◎花王コルゲートオーラル・プロダクツ設立
◎資生堂が日刊紙で、“化粧品の正しい使い方”キャンペーンを実施
◎アイリーン・ギブソンが訪販ルートに進出
1977年(昭和52年)2月
◎カネボウ化粧品が「第1回朝日ベルサロン」を開催
1977年(昭和52年)3月
◎カネボウ化粧品、オープン販売システムを導入
◎大沢商会が仏フレグランス「ジャン・クチュリエ」を導入
1977年(昭和52年)4月
◎公取委が景品規制(買い上げ金額の10%)
◎ジュジュ化粧品社長に中野博司氏が就任
◎ヒノキ新薬が肌粧品のコンセプト打ち出す
◎ヘレンカーチス社長にソル・メスタ氏が就任
1977年(昭和52年)5月
◎石洗工組理事長に野中市松氏(ニッサン石鹸社長)、石浜工会長に沼田明氏(花王石鹸会長)が就任
◎化粧品のノーベル賞“ジュリアーナ・ブランビラ国際賞”資生堂・大田、カネボウ化粧品・二子石両氏が受賞
1977年(昭和52年)6月
◎日本歯磨工業会会長に金田博夫氏(サンスター社長)が就任
1977年(昭和52年)7月
◎帝人パピリオ社長に吉野鉚一氏が就任
◎大高酵素が訪販化粧品ルートに参入
◎コティー総支配人に国本久敏氏が就任
◎皮膚障害問題、業界初の法廷論争へ
1977年(昭和52年)8月
◎レブコ設立、ポアール設立
1977年(昭和52年)10月
◎ライオン油脂、粉末洗剤のリン配合率8%以下に全面切りかえ
◎化粧品被害損害賠償請求事件第一回口頭弁論開かれる
◎オルラーヌ・ジャポン設立
◎日生協がCOOPブランドの化粧品を発売
◎再販訴訟で、学習院大学田島教授が法廷へ